彼の名はザンギエフ。吐く息もたちまち凍ってしまうロシアの大地からやってきた、鋼鉄の肉体を持つ巨人である。
彼は以前、ロシアレスリング界に敵なしと言われるほどの男であった。しかし、その人知を超えたバカ力は対戦者を次々に再起不能にしていき、ついには、誰も彼に闘いを挑もうとはしなくなってしまった。
こうして、ロシアレスリングの孤独の帝王ザンギエフは、無敗のままマットに別れを告げた…ハズだったがその翌日には別のマットに立っていた。やけにハデに飾りつけのされたリング、むせ返るようなタバコの煙と酒のにおい、そう、彼は敵を求めて闇プロレス界に身を投じていたのだ。ルール無用、凶器・かみつきなんでもありの闇プロレスならば、相手になる人間の1人や2人はいるはずだとふんだのである。しかし、その期待はもろくも崩れ去った。世界中の腕に覚えのある者が集まる世界に名高いロシア裏プロレスにも、彼の荒れ狂う攻撃に5分と持ちこたえる者はいなかったのである。ザンギエフ戦での賭けが成立しなくなったころ、彼はオーナーから謹慎を言い渡され、観客席でウオッカをあおるはめになってしまう。
そんなとき、アメリカから流れてきたプロレスラーに、彼の目は釘づけになった。
一見無駄のある動き、ハデなだけに見える技のアメリカンプロレスは、決して重くないそのプロレスラーの体重を重力によって倍加させ、相手をたたき込み、バイタリティを着実に奪っていく。『これだ!』。ザンギエフは、自分が強すぎて闘う相手がいないのも忘れて、謹慎中特訓を続け、ついにはアメリカンプロレスとロシアレスリングの混合格闘技を自分のものにしてしまうのであった。
謹慎の解けたザンギエフの復帰第一戦、観客は信じられない光景を目の当たりにする。ゴング直後、数メートル離れた相手を一瞬のうちに腕の中に吸い込んだかと思うと、相手と共に3メートルの高さにコマのように舞い上がり、全体重を乗せ、相手を頭からマットにたたき込んだのだ。次の瞬間リングは粉々につぶれ、その激震は、観客の上にシャンデリアの雨を降らすことなど造作もないことだった。
『スクリューパイルドライバー!ガッハッハッハッハ』。ザンギエフはそう大声で笑いながら、わめくオーナーを尻目に会場を去っていった。
雪山の中に一人掘ったて小屋を構えて住み出したザンギエフ。
『人間は、すぐにブっこわれて修業にならん!』。ロシアの厳しい自然が相手ならば、納得のゆくまで修業に打ちこめるだろう、と考えたザンギエフは、冬眠中のヒグマをたたき起こしてはスクリューパイルドライバーをかける毎日が続いた。
やがて長かった冬がようやく去り、ロシアの大地に短い春が訪れようとするころ、ザンギエフの住む山麓の雪道に1台のリムジンが停止した。そして車内から残雪を踏み締めて降りたったのはザンギエフが、いや彼だけではなく世界中が尊敬と熱い注目の眼差しを向けている、時の人だったのである。彼はザンギエフを車中へと誘い、そして何事か二言、三言の会話を交わしたあと、ザンギエフの傷だらけの手を握り締めて問いかけた。『やってくれるかね、同志ザンギエフ君?』。思いがけない人から、思いがけぬことで頭を下げられてとまどったザンギエフであったが、しどろもどろになりつつもやっと一言答えることができた。『やります!』と。その一言で決まった。
これから彼は世界中に飛び、各地の強豪と闘って回る旅に出ることになったのだ。それはもちろん思いがけぬ人から託された目的を果たすためにである。だがその目的の中身は、その人とザンギエフだけのナイショだから決して他人には言えないのだった。