その町に住む人々の生活は、事情を知らぬ人にとっては薄気味悪く感じるくらい、とても規則正しいものであった。なにしろ皆、勤めや遊びから帰ってくるとすぐに床に就いてしまうのである。間違っても夜更かししたり、遅くまで飲んで酔っ払っている人間など1人としていない。なぜこんな具合になってしまったかというと、それは町の中央にある相撲部屋に問題があったのである。
『どすこ〜い、どすこ〜い』。その部屋の朝はほかのそれと比べるとめっぽう早い。まだ日が昇らない時間から耳が割れそうな掛け声と、大地震を思わせる振動を周囲近辺にまき散らして稽古を始めるのだ。近所に住む住民にとっては、迷惑この上ないものであったが、人々は一様に文句も言わず耐えていた、というよりあきらめに近いものを感じていたからである。もちろん最初は抗議に飛び込んでいく人もあった。だが、この道場の主が変わっているというか強引というか、話を切り出すより早く訪れた人を捕まえて『そうかそうか、おんしもスモーがやりたいんでごわすか』と無理やり稽古場に連れていき、たっぷりお相手をさせられてしまうのである。こんな調子だから、しまいには皆すっかりあきらめて、なるように任せていたのであった。
しかし、それは間違いだったのだ。なぜならその道場の主、エドモンド本田は、『最近人がこないのは変でごわす。これはきっとスモーのすばらしさを分かってないからでごわす』と、勝手な思いこみに走り、ただでさえ騒々しい稽古なのに、一層の拍車をかけてしまう結果となったからである。
だが、遂にその町の住人も救われる時がきた。本田が突如として世界を巡る旅に出る、などと言い出したからである。この男の気まぐれさ加減には昔から皆、キリキリ舞いさせられてきたが、今度ばかりは全員一致で彼の考えを支持した。そればかりか一刻も早く日本から出ていってもらおうと餞別まで出したのである。そうとは露知らぬ本田は感涙にむせびつつ、『そんなにもワシのことを…皆さんの気持ちはよ〜く分かりもうした!ワールドにスモーのすばらしさを認めてもらった時には、再びこの町に戻ってくることを約束するでごわす』と、住人が一番望んでいないことを口にし、人々を恐怖のどん底にたたき落とした。
本田が日本をたつ日、空港にはくじ引きによって選ばれた2名の住民が見送りに来ていた。彼らは本田が飛行機に乗り込んだのを見届けると、ほっとした面持ちで話し始めた。
『なあ、あいつを見て世界の人々は日本人のことをどう思うだろうなあ?』
『さあな。でも明日からぐっすり眠れることを考えたら、そんなことはどうでもいいような気になってくるよ』
『それもそうだ、考えるのはもうよそう』
『でも明日からあのうるさい声が聞こえないってのも、なんだか寂しい気もするな』
『ああ…』
だが2人がそんな気持ちでいられたのはその日だけであった。翌日、その町の住民はいつもと同じ声にたたき起こされた。受話器にスピーカーをつないだ本田特製の電話から、弟子を叱咤する国際電話が流れてきたのである。
それ以来、その町の人々は弟子思いの本田に認識を改めたのであった…という話はいまだに聞かない。