古城の跡地に造られた極秘施設−英国情報部・特殊工作部隊養成基地。その存在は、上層部のごく一部の人間にしか知られていない。
とある嵐の夜。
基地近くで土砂崩れが発生、発電機能の一部がマヒする。
修復のため現地に向かった隊員が、崩れた土砂の下に一人の少女を発見。けがを負い、意識を失っていた少女を保護し、基地に連れ帰る。
やがて少女は意識を取り戻すが、一切の記憶を失っていた。自分がだれなのか。どうしてあんな場所にいたのか。
少女の身元の手がかりは、彼女が手にしていたペンダントに刻まれた文字だけだった。
CAMM 740106
軍は少女を施設内に置き、外部に漏らさぬようとの指示を出す。
少女は教育隊長のK・ウルフマン大佐の管理下に置かれた。
少女は努めて気丈さを保っていたが、内心では自分が何者かわからない事に、ひどく不安を感じている様子だ。
ウルフマン大佐は、軍から少女の監視・報告を義務づけられていた。
施設の存在が公にできないとはいえ、この少女も事故に巻き込まれたばかりに、ひどい災難だな、と大佐は思った。
しかしやがて彼は軍の真意をはからずも知ることになる。
少女のけがの回復力は、常人の治癒能力のスピードをはるかに超えていた。
全治2ヶ月はくだらないと思われていた全身数か所の骨折は、ものの3日で治癒のきざしを見せ、1週間後にはまったくの健康体に戻っていた。
「……とにかく、常識では考えられません。彼女の肉体そのものは、同年代の一般女性とさほど変わらない。しかし、新陳代謝能力および血液内の抗体生成スピードは、生物学史上でも類を見ず……」
担当医が興奮し、まくしたてるのを聞きながら、ウルフマン大佐は嫌な予感を覚えた。
「軍が研究を進めている、生体兵器プロジェクト……あれのテスト用にするつもりか?」
そのプロジェクト内容は大佐の知るところではなかったが、彼女が格好のテストモデルとして扱われるであろう事は容易に想像できた。
「この娘はおそらく何も知るまい……このままでは、いずれ……」
少女の表情は日に日に明るさを増していた。
大佐はペンダントの文字『CAMM』から、彼女をキャミィ(CAMMY)と呼ぶことに決めた。
「キャミィ……それが、あたしの名前……」
「まだ本当の名前は分からないが、ずっと名なしでは困るだろう。悪くない名前だと思うんだがね。」
「……ありがとう。キャミィ、かぁ……」
初めて見せるはにかんだ表情に、大佐は顔をほころばせる。しかし、押し寄せる不安は大佐の心から追いやる事はできなかった。
そしてその不安は、思いがけぬ形で現れる事になる。
キャミィを保護した日から3週間が経った。
特殊工作部の最高司令、W・ワトソン総司令の定例視察の日のことである。
総司令はキャミィの部屋を訪ね、ウルフマン大佐に問う。
「この娘が、例の少女かね?」
「はっ」
「ふむ……まだ子供ではないか。こんな所に閉じ込められては、退屈だろう」
総司令が手を差し出し、キャミィに歩み寄ったその時。
キャミィの体が、はじかれる様に飛び出した。人間離れしたスピードで、手刀をかざし総司令に突っ込む!
「……?……はっ!?」
我に返ったキャミィの右手は、ウルフマン大佐のワキに抑えられていた。間一髪のところで、大佐がキャミィを受け止めたのだ。
キャミィの腕をなま温かい鮮血が伝う。大佐の腹部から大量の血が吹き出す。
「イヤァアアアアア……!!」
キャミィは気を失い、倒れる。
「大佐!!しっかりしたまえ、オイ、だれか医者を!!」
「総司令……申し訳ありません、この不始末は、私の命にかけて償います……どうかこの少女の処置については……ぐっ……私に、ご一任を……」
大佐は遠のく意識をこらえながら、キャミィをかばう。
このとき大佐は確信していた。
彼女を……キャミィを悪しき呪縛から解き放ってやらなくては。それをするのは、私をおいて他にはない、と。
総司令は、強い決意の大佐を見据え、答えた。
「ウム……他ならぬ君の頼みを、むげに断るわけにもいくまい……よかろう、その少女については、君に全てを任せる。安心したまえ」
「あ……ありがとう……ございます、総司令……」
大佐とキャミィはタンカで運ばれる。
「ウルフマン大佐……頼んだぞ。あの少女には、軍の最高幹部らが興味を示し始めた。事が大きな悲劇を招かないうちに、悪の芽をつみとってやるのだ。国家が動き出せば、私とて君らをかばってやれない……」
幸いなことに、大佐の傷は大事には至らなかった。
しかし、キャミィはそれからしばらく──およそ3日間──意識を失ったままだった。そして彼女の脳波から新事実が明らかになる。
深層心理下の特殊なマインド・コントロール。自分の意志とは無関係に、特定の行動を誘発させる技術が、彼女に施されていたのだ。
ただ、それは記憶を失ったショックにより、その効力をほとんど失っていた。おそらくこれからは、突然人を襲うような事はないだろう。
この事件をきっかけに、軍はよりキャミィに高い関心を寄せる様になる。これは間違いなく人為的に施されたものであり、軍にとってその原理の解明は最優先事項に取って代わっていた。
既に存在していた脅威的なバイオコントロールテクノロジー。開発の立ち後れは、敗北を意味する。
ウルフマン大佐は、そんな軍の思惑は意に介さず、ただキャミィの様な年端も行かぬ少女に残酷な運命を課した者に対し、言い知れぬ憤りを覚えていた。
「何か大きな力が、動いている……」
前にも増して厳重な監視下に置かれるキャミィ。
総司令襲撃事件から1週間──平静を取り戻した彼女は、ひとつの決意を固めていた。キャミィは、ウルフマン大佐に志願する。
「あたしにも、訓練をやらせてください」
「何?……いや、君には無理だ!」
「いえ、やれます。やれそうな気がするんです。……あたし、知ってます。軍はあたしを『兵器』のサンプルとして扱っているんでしょう?もっと詳しいデータが、欲しい、って……」
「君は……それに気づいていて、何故……?」
「大佐……あなたはあたしを助けてくれた。あたしが信じられるのは、あなたしかいないんです。
あなたがダメだというのなら、あたしも無茶はしません……でも、あたしはあなたと仕事をしたい。あなたの力になれるよう努力したい。このままカゴの鳥の様に暮らすよりはずっと……」
キャミィの目に臆するところはなかった。ウルフマン大佐は、自分が気をもんでいたほど彼女がヤワでなかったことに苦笑を禁じ得なかった。
この娘は、強い子だ。
「……君の人生は君のもの、誰にも束縛はできないさ。君が自らの運命を切りひらいてゆくのを、わたしは拒まない。むしろ、力になってやりたいと思うよ」
「大佐……じゃあ……」
「キャミィ!君は本日より、我が部隊の正規隊員たるべく教育を受ける。厳しい訓練にかかる……ついてこれるな?」
「は……はい!!」
──キャミィよ、私は決して君を「兵器」などとは思っちゃいない。
君は、君を苦しめる悪しき過去を断ち切るために戦うのだ。
これからの時間こそ、君にとっての本当の人生なのだから──
かくしてキャミィの訓練生活が始まった。
彼女の運動能力は、まさに想像を絶した。とても20歳そこそこの女性の動きとは思えない。肉体の持つ潜在能力を、極限近くまで引き出している。
武器などの扱いも、それこそあっという間に覚えた。まるで体が知っているかの様に。彼女の班(チーム:通常4〜5人で構成される)は短期間で驚異的な成績を上げ、いよいよ軍上層部も彼女の能力について疑う余地なしと判断した。
軍の最高幹部らが実験を企てる。
「ここはひとつ、彼女の能力がどれほどのものか、見せてもらうとしよう」
「は……と、申されますと、まさか……」
「そう……我々にとって最もやっかいな存在『シャドルー』にさぐりを入れさせるのだ。今までどんな作戦をもってしてもなしえなかった、やつらの陰の指導者の存在究明……彼女なら、何らかの手がかりをつかめるかも、だ……」
「リスクが大きすぎるのでは……?」
「既にわが軍でもテストの準備は整いつつある。あとは実戦でのデータだけだ。すばらしい成果を期待しようではないか」
ほぼ全てのカリキュラムを評価SA(スペシャルA)でクリアしたキャミィ。
彼女らのチームに、いわば卒業課題といえる実戦任務が言い渡される。
「違法麻薬密輸入組織LA-66-コードネーム『シャドルー』の実質的指導者の身柄を拘束せよ」
「!」直感的に邪推をめぐらすウルフマン大佐。
「シャドルー……たしかイギリス国内のみをターゲットにした、取るに足らない弱小組織……既に組織そのものの存在も危うい、とのデータだが……」
シャドルーの実体について、その正確なディティールを知るものははとんどいない。特殊工作部隊隊員である彼らにしても例外ではなかった。
しかしウルフマン大佐は、『シャドルー』の名に何かひどく不吉なものを感じた。
「軍はキャミィをどうしようというのだ……生体兵器プロジェクトは打ち切られたという報告だったが……まさか、な」
あれこれ勘ぐったところでどうにかなるものではない。任務の遂行は何よりも優先する。
「この任務の成功が、彼女の人生の大きな一歩となるはず……そう信じるしかない」
東の空が明るみを増してゆく。
チームを乗せたヘリコプターが飛び立つ。
それは、やがて来る運命の戦いの、静かすぎる幕開けであった──。