どきどきポヤッチオ

メディアゲーム(スタジオ最前線、PS)
キャラデ近藤敏信
 夏休みのある日。主人公・ジャンは従姉のマリアねーさんから、王都の復興に両親が行ってしまって一人である自分の家に来て欲しいといわれ、プエルコルダンの村に行くことに。
 そこでパン屋の手伝いをしたり、探検をしたり、女の子や村の人と親しくなったりしながら過ごす夏休みの日々の物語。
(紹介文書き手:M1号)

 目的の無いRPG。「ポヤッチオ」という言葉に「意味」は無い事が製作スタッフによって明かされており「何となくポヤッチオな感じなゲーム」という意味でしかない。つまりは、そーいうゲーム。
 とりあえずの目的として、毎日の課題であるパンの配達や女の子と仲良くなる事などがあるが、別にそれをする必要もなく夏休みの間ずーっと寝ていても何の問題も無い。
 「全ての登場人物」が記号ではなく「生きている」という事に重点を置いて作られた作品。人気作品である「ぼくのなつやすみ」とコンセプトは似ているが、こちらの方が先に開発されてます。

 以下は、日記でかつて書いたポヤッチオの紹介である。
 今日は、秀作RPGの「どきどきポヤッチオ」の紹介だ。
 ぽやっちおは今時珍しい、かなり良質のRPGだ。まだまだ詰めが甘くてバランスがなってないけど…。子供の頃の自由さ、そして大人に秘密の未知の場所の冒険!
 なんといっても全ての人が生きているのが楽しい。普通のRPGだと、勇者へ情報を与えるロボットでしかないのに対し、主人公を何をしていようと、それとは関係なく生きている。これを感じさせたRPGは天使の詩以来だった。
 では、軽くストーリーとどんなゲームかを解説しよう。
 夏休み、パン屋をやっている従姉妹のおねーさんが、主人公に手伝ってくれといってくる。
 そして主人公は冒険の舞台になる島へとやってくる。
 基本的に「お手伝い」にきているので毎日毎日、パンの配達をするのがゲームの基本となる。
 これがくせ者で、家に届けるのではなく、「依頼人」に届けないといけない。でも村人は自分の思うように散歩してたり図書館に行ってたりするので探さないといけない。しかもプレイ当初は顔と名前も一致しないので、すれ違っても気づかない事なんかもあったりして、偶然近くにいた、おねーさんに言われて初めて気づくなんて事も。
 ランダムではなく、1日1日で行動パターンが決まっているので、プレイを繰り返せば繰り返す程、楽に探せるようになる。私は1回しかプレイしてないけどな。
 配達と「おねーさんに頼まれた買い物」さえしてしまえば、後は自由。好きなように、島を冒険していい。いや、配達さえする必要はない。自分が配達したくないと思えば、しなくてもよいのだ、おねーさん怒るだろうけど…。そう、店のパンを勝手に喰うのも自由だ、おねーさん怒るだろうけど…。
 で、この「おねーさん」が非常に魅力的でスタッフが子供の頃に憧れた「理想のおねーさん」を作り上げたなって感じである。「ラッキー」は名台詞。
 ちょっと残念なのが、この「配達」というか「お使い」要素が強すぎる点。島中かけずり回って配達して「お金を節約」する為に店で買わずに、フルーツを刈ったり、ジャムを作ったり…確かに自由な時間はあるのだが、明日の為に、明後日の為にって「フルーツ収集」に熱中する事が多く、何やら何のゲームをやっているんだかわからなくなる事も多い。
 また初めての島なので、迷子になる事も多い。自分がどこにいるんだかわからないのだ。そして時間だけが過ぎていき、辺りはどんどん暗くなる。ちょっとした不安。まあ、この辺は子供にありがちなんでよい感じだ。
 そして「お使い」と並ぶ、もう1つの要素が「恋愛」。全ての登場人物と主人公の間には好感度が設定されており、それが同年代の女の子なら恋愛に発展する。もちろん小学生な年齢なので、恋愛SLGによくある、クソ恥ずかしいシナリオにはならない。それがまたいい。
 じゃあ、同年代の女の子以外の人と仲良くなると何があるか?これは別に何もない。でも気分がいい。島を走り回ってると、みんなが親しげに挨拶してくれる。島中の人に嫌われている郵便屋さんだって仲良くなれば挨拶してくれる。子供の純真さに感化されて、主人公が島を去った後は真面目に働くようになってくれたら嬉しいとか思いながらプレイしたりする。
 1回プレイしてしまうと、住人全てがどんな人で、どんな行動をするのかとかわかってしまうし、島のマップも頭に入ってしまうので新鮮な気持ちでプレイできず「どきどき感」がなくなるのが残念(だから敢えて私は1回しかプレイしなかった)。
 来年も絶対に島に行く、マリンに会いに行く。続編のあるなしではない、心の問題だ。ゲームでは描かれていない、でも主人公が去った後も島の人達は、そこで暮らしているのだ。誰の目に触れる事はない、自分たちの生活を続けているのだ。私たちは、長い長い島の年月の、ほんの一瞬を垣間見ただけなのである。それは旅行でどこかの街を訪れるのと同じである。私達がその街にいく前にも、その街はあったし、去った後も、その街はある。現実も非現実もない。ぽやっちおの舞台となった島は存在しており、今でもそこで人々が暮らしているのだ。
 まあ、ようわからんが、とにかく「ぽやっちおの世界」はそこにあるのだ。あなたも「プエルコルダン」へ行ってみませんか?きっと素晴らしい出会いが待っているはずです。
 少年時代に忘れてきた「何か」を見つける事が出来るかもしれません。